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2008年08月29日

ボヤージュ

私は、自分にぴったり合う服をさがしている
それはどこに行っても、見つけることができない
私の内面をみんな、外に表現できる形、布、色
今ここに確かに生きていることを表わす服
知っているイメージを全て組み合わせても違う
今のこの国では、私の両親すらそれを見つけることはできない

こけしのように、
むいたゆで卵のように、
産まれ落ちるのを待つ胎児のように、
私は何かを待っている
まだ産まれたばかりの濡れているひよこのように、
これから起きる楽しいことや悲しいことをじっと予感している
それを言葉にすることもまだできない
でも脈をうち、生きている

この国のどこに産まれてもあまり変わりはない
追い立てられ、急がされ、型にはめられ、
どんな田舎もようしゃなく貫く味気ない大きな道路と、
センスの悪い大型の店が立ち並ぶだけ
でもこんもりと緑色の山を見ると涙が出る
おもちゃみたいに小さな滝や、
湖のように静かな海の灰色
この国にしかない繊細な自然を愛している

今は何が起こっても不思議ではない時代だ
小さな鳥を守るために真剣に会議が開かれ、同時に
子供が猫を殺す
昔ながらのお祭りを楽しみお神輿をかついでいる時、
誰かがみんなのための食事に毒を入れている
何を信じたらいいのかわからないという人もいる

それとは少し違うけれど、友達のお母さんはいつも爪をきれいにしていて、
台所は使わないからぴかぴか
高級なスーパーのおそうざいと、
配達される焼きたてのフランスパンしか食べない
でも友達は愛されている
私のお母さんは農家の出身で台所は油に汚れ、
おいしい白いごはんや天ぷらや漬物を作る
私も愛されている
差があることの悪い面よりも、その差の中でも愛が育まれわかり合うことができること
育っていくこと
私はこのめまぐるしく動く時代の中で、いろいろな人を見すぎて、
今やどこから来たどんな外見の人でも恐れることなく出会うことができる
本能を信じて、こだわりを捨てて、
私たちの魂はどんどんすばらしくなっていっている

私は、
食べるのが、楽をするのが、
健康でいることが、
人によく思われるのが、お金が、
いやなものは見ないことにするのが、
好き
でも、そのために生きているのではない
したいことのためには
食べなくても、大変でも、
体を壊しても、
悪口をたくさん言われても、貧乏でも、
醜いものをたくさん見ても、
かまわない

そのくらいの覚悟はあるまだ幼い自分を嫌いではない
生きていることはいつでも両方を見ること
そんなに捨てたものではないと思う
TVも新聞も、悲しいことばかり言わないでほしい
今はまだはじまったばかりの、
新しい旅の途中




「こけし」 吉本ばなな





堅田でひとり暮らしをしていた修行時代、せまい玄関の上がりかまち兼通路のような1Kのキッチンの冷蔵庫に貼って、いつも眺めていた詩です。

すっかり忘れていたのですが、先週、今週と仕事や日々の生活の中で、そういえば、とふと思い出して…。
でも、吉本ばななさんの詩であること以外、詩から浮かび上がるイメージは思い出せても文章が思い出せず…唯一憶えていたキーワードと併せて「吉本ばなな フランスパン」で検索したら、すぐ見つかりました(笑)。すごいねーインターネッツの世界は。

久しぶりに読んだこの詩ですが、現在に向けてざわざわと砂がこぼれはじめるような10年前のあの時代がそう読ませたせいなのか、10年前のわたしの感覚だったからなのか、すこし思っていたイメージとは違いましたが…。

仕事から、誰も待たない、テレビもない部屋に帰ってきて、玄関の電気だけつけて冷蔵庫から牛乳を出して飲みながら、キッチンの油でよれた紙に書かれたこの詩を何も考えずひたすら毎晩黙って繰り返し読んだ25歳頃のわたしの眼、それからいろいろあって子を得て曲がりなりにも母となり、またそれからいろいろとあり、それが経験となっているのか成長としているのか、それでもあの頃とすこしも変わらないような気持ちでいつつもやっぱり何かが違うそれは何なのかを追わないでいる、追えないでいるということが成長であり成熟であり老いでありということなのかもしれないととりあえず理由付けて考えるのをやめてみた今、現在のわたしの眼。あの空気そのままがよみがえり、でもそれはすこしなつかしいけどただなつかしがるよりは、なんだか腹立たしく歯がゆくもどかしく。あの頃の自分にも、今の自分にも。


そんなことを考えながら、この頃を過ごしています。


投稿者 あつこ : 2008年08月29日 21:40

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トラックバック時刻: 2008年10月11日 23:20

コメント

はじめまして、東京に住んでいる小一の娘の母です。いつも楽しくブログを拝見しています。今日は、なんだかとてもよしもとばななさんの詩と、あつこさんの文章が心にしみてコメントをかいています。私も最近いろいろ考える事がおおく、泣いてばかりの日々だったりしてちょっとやんでるかんじです。が、しかし子供の前で泣く訳にもいかず、、、(実はちょくちょく泣いてたりして)。あつこさんの息子さん話を読んでは、一人で爆笑しています。男の子おもしろいですねえ。母として一人の女性としてがんばっているあつこさんに、とても励まされています。これからも、ブログ楽しみにしていますね。

投稿者 ハナ : 2008年08月30日 10:29

ハナさん、こんにちは。いつも読んでいただいているんですね!ありがとうございます。うれしいです。

こうやって笑い飛ばしてみつつも、子どもへの想いや悩みは尽きませんね。
わたしも、泣いてばっかりです(笑)。

小学生になって環境も変わり、身体だけでなくこころも成長しているんだなあと、ただただ「かわいいかわいい」と言うてられなくなった難しさは、きっとハナさんも同じなんじゃないかなあと思いました。

お互い、ぼちぼちがんばりすぎないようにがんばりましょうね…

コメントいただけてうれしかったです。
ほんとにありがとうございました☆

投稿者 のぞみ。 : 2008年08月30日 12:42

のぞみさん、ありがとう。

なんとなくお礼を言いたくなって、でもなんで?と言われると困ってしまい、でもなんとなくのぞみさんにはそう言いたくなる気もちがお分かりになるんじゃなかろうか、と思います。

来月楽しみにしていま~す。

投稿者 おおの : 2008年08月30日 17:14

おおのさん。

あえて言おう、「でもなんで?」


ははは、うそです。
こちらこそ、ありがとうございます。

来月お目にかかります☆

投稿者 のぞみ。 : 2008年08月30日 20:10

いろいろ大切な時間をすごされているんですね。
素敵な詩ですね。

いろいろ自分も考える詩で、読めて良かったです。

投稿者 ゆうじ : 2008年08月31日 16:37

ゆうじさん。コメントありがとうございます。

正でも誤でもなく、原因でも結果でもなく、はじまりでもおわりでもなく、真実でも嘘でもなく、夢でも絶望でもなく…天井も床もないところで漂っているのが「表現すること」なんだなあと感じています。

探すのは大事だけど、答えを見つけたと思うことは、これからもないんでしょうねえ。たのしいような、しんどいような。

投稿者 のぞみ。 : 2008年09月02日 01:22

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