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2017年05月12日

わたし的ゴールデンウイーク(めっちゃホリデイ)

連休中はずっと働いていて、開けて水・木とお休みをいただいていました。
わたしの連休終了。
だいまんぞく。実にゴールデン。

夜の勉強会も挟んで、京都国際写真展( http://www.kyotographie.jp/ )と、遺され村の美術展( http://www.nokosaremura.com/ )をまわってきました。

道に迷ったり(安定の方向音痴感)、全部見て回るにはボリュームが多かったりで、いろいろやり残し感はありますが、とてもよかった。

京都国際写真展、いろいろ思い出ある新風館の解体中の場所を使っての展示は、ああ、こういう使い方ができるのね、という面白さを感じました。

いちばんみたい、と思った作品が観れてよかった。
ほかも見れたら良かったんですけど…なんせ道に迷ってる時間が…笑

遺され村の美術展、は容子さんに会いがてらというのもあったのですが…。

コンセプトは、先の京都国際写真展の対極にあるもの、それぞれのすばらしさがあるんですけども、こちらの展示は今のわたしの課題(からだの一般論というか…メジャースケールのなかにあるつなぎ、余白がじつはパワフルなコーディネイションをもって機能する、そのマイナーな部分、わかりにくいものの強さを皆さんがそれぞれのからだに持ち合わせているのだということを、施術で、ことばで、ことばにならない部分はわたし自身のからだでどう表現して、つたえていくか)にフィットするところあり、主催の上田さんのガイドを聴きながら、なんども泣きそうになっちゃった。

容子さんが、学童の仕事あるしね、とお帰りになってから、中継地点のウエルカムハウス(30年前に移住してから、こつこつリノベーションされてきた素敵な古民家)でコーヒーをいただきながら、窓から見える安曇川の流れを見ながら、そこのオーナーでもあり、世話役の宮田さんといろいろ話し込んで、気づいたらすっかり日が暮れてしまっていました。

安曇川って、通る場所によってまったく様子が違っておもしろくて…いつもちょっとぼんやりとした笙の川を眺めて暮らしてる(それはそれで愛しているのだけども)身には、いつもなんとも言えない気分になるところです。
そんなことをぽろっと宮田さんにお話したら、安曇川でも川幅が細いので、細川って地名なんじゃないかな、と。

今回、そのウエルカムハウスに展示されていた作品の中に、古文書から、その集落にかつて住んでいたひとの氏・名を般若心経の写経みたいに切れ目なく書きつけたものがあったのですが、集落と同じ名前の苗字も数多くあり、どのようなストーリーがこの名前の中にあるのかな、と壮大ないのちの流れの川のほとりに佇んだような気持ちになりました。

今回の美術展がきっかけで、またお二組あの山深い集落に移住してみえるお話がすすんでるんだそうです。

わたしにとってはお訪ねして話を聴くたびになんとも不思議な気分になる場所。移住してこられるかたも、きっとそうなんだろうなあ…。

そんな不思議な場所で、48歳でお子さんを産み、地域ぐるみでそだてておられる容子さんのお話、容子さんが「なんかさ、だんだん忘れていってるよ、やばいよ、笑」とおっしゃってたので、なんとかその前には皆さんとシェアできたらいいなと思っています。

投稿者 あつこ : 2017年05月12日 19:48

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