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2015年03月18日

円を縁と呼び、ひとの暮らすを星になぞらう

夕方、お見送りの背中に降り出した雨を見る。
南風のせいか、目の奥と奥歯がどよんとした感じ。

昨日今日と、日中は気持ちいい、春らしいひよりでしたが…


昨日は、木立の中をずーっとずーっと走って走って滋賀県朽木と京都市左京区の県境、冬は雪深い人口八十人、二十世帯くらいのところにある、久多という集落の古民家にご家族で移住してこられたおうちにおじゃましてきました。


滋賀県と京都府の間に学区がひとつあり、同じ学校に滋賀の子と京都の子が入り混じり、それぞれ20~30分離れた各集落から通学バスや家庭の送迎で保育園〜中学生が通っているというところに驚きました。(中学は学区選択という制度もあり、もっとたくさん生徒がいる学校に通いたければ、それも希望として受け入れられる仕組み)

もちろん、それでもこどもの人数は少ないんだけど…。

今春は保育園のほうに入ってくる子供はいないとか…。
この学年は比較的多く、この学年は少ない…というのは、わたくしたちのすむところ(言うてもそんな町中でもないですけど)でもあり、スポ少のチーム編成の影響にもでたりっていうのはききますが、子どもの人数が少ないこちらは圧倒的におもいしらされることなんだなあ、と。

それでもまた今日、若い世帯が移住してくるのが決まったとか、もうすぐあそこのおうちは赤ちゃんが生まれるんじゃない、という話題で沸いたりと、小さいお子さんをたくさん連れた朗らかな若いママさんたちのたくましい姿に感銘を受けました^_^

わたしたちは自転する地球の上にいる以上、とまっていても実は動き続けているんだということ、そして、人もまた、みなそのなかで自らの意思で自転し、太陽の光を受け、輝き続けているんだということを、この地区でも例年にはないといわれるほどのあたたかな春の日差しを浴びながら思いました。そんな彼岸の入り。

昨日は、暦のお話を聞きに、行っていたのです。
先だってお話しした、地球暦を、実際に数年つかっておられる女性に会いに。

暦だけでなく、母親としての話、女性としての話…。

人生は選択のくりかえし、迷い、なやみ、揺れることの繰り返しだけど、そのなかに偶然も必然もあることを思い知らされ、それをいつしか縁と呼び、それに救われ励まされてわたくしたちはまた歩けるのだろうなと思う。

暦がなにをみちびいてくれるわけでも、たすけになってくれるわけでも、はたまた何のセラピーでも宗教でもないけれど(笑)、わたしたちは母、妻、女性、娘、はたらくひと、などたくさんの役割を不器用に着替えながら今をそれぞれ生きる「人」のあつまり。

無数の、あまねく星を人とその人生になぞらえたとき、そこにはきっとなにかの引きわせがあること、それを信じてみてもいいな、その羅針盤として暦のことをもっと知れたらな、とわたくしはおもうのです。

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”地球暦は太陽を中心にして地球の一年をみることができる暦です。
日々の動きを太陽系から眺めてみると、惑星たちが規則正しく時を刻んでいるのがわかります。<中略>
日付が本質的に示しているのは太陽、月、地球の位置関係です。
人の思想は違っても天地の動きは同じであり。皆が同じ1日を生きています。私たちは限りある命を時間という法則性のようなものと一緒に暮らしていますが、まずは地球の動きに沿うことが。生き物にとって自然なあり方ではないかと思います。” 
 (地球暦考案者:杉山開知さんのことばより)

地球暦 http://www.mammothschool.com/2013/10/kaichi-sugiyama-cartographer/

今年も、春分の日の3月21日に、あたらしい年が始まります。

今回会いに行ったなかてぃさんをお招きして、近々、地球暦のお話を聞くシェア会、をしようと思っています。

ご興味ある方はご連絡くださいね。


ブラジリアンワックスブログも更新しました。

http://novakbw.blog.fc2.com/

敦賀では明日が最後みたいですが、あの映画の見どころをブラジリアンワクサー的にお伝えしたい、というお話です。

投稿者 あつこ : 2015年03月18日 20:09

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