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2012年07月16日
さかなのなみだ
去年の海の日にからめて、のぞみ通信に描いたさかなクンです。
何度か、このブログにも紹介しましたが、「さかなのなみだ」という絵本で、さかなクンが書いた文章が本当に好きで…息子の通う小学校の図書館にも寄贈したくらいです。
残念ながら、今は絶版になっているそうですが…。
さかなクンらしい、子どもの気持ちに寄り添うような、やさしいすてきな文章です。
朝日新聞でも再度掲載されているので、またご紹介します。
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中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
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大津で起きた、ことばをうしなうような、事件。
あまりにも痛ましく辛く、新聞の記事を読み進めるのも苦しく…。
そして、うっかりして手を離してしまっていることに気づいて息子との関係をいろいろとはかりかねる私自身の母としての不足を感じていた、このところの自分の感情と、なかったことにされようとしていたこの事件への憤りとかやりきれなさとか怖さとか不安とか。
考えれば考えるほど、感じたことのない感情にゆさぶられる毎日です。
加害者と被害者という区切りなく、どちらも当事者であり、それはわたくしたち親も、日本中の子どもたちもそうであるということ。
今はただ、なくなった男子生徒さんのご冥福をお祈りいたします。
投稿者 あつこ : 2012年07月16日 19:25
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