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2017年10月30日

解毒女子の会2017秋 レポ

解毒女子の会敦賀、無事終了しました。
二週続けてやってきた台風、あしもと悪い中お越しくださいまして、ありがとうございました。

今回のテーマは「母の呪縛を解毒する」。

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引っかかる人にとってはかなりヘビーなキーワードだったらしく、迷いながら、ザワザワした気持ちを隠せないまま参加された方、怖くて参加を見送られた方。

当日朝に「やっぱりどうにも気になって…行きたいです!ただ、足がなくて」と連絡くださった方をピックアップして会場へ。

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内容としましては、かふみさんの研究のご専門である社会学、ジェンダーの視点から…最新のトピックとしましては、豊田議員(彼女もまた、母の重い重い、まさに呪縛と言ってもよい教育環境のなかで、当たり前として、されてきたのであろうことが奇行ととられ、かっこうのマスコミの餌食となってしまった)、その時代の空虚な理想を映すアニメやドラマとそれにあえなく影響を受けてしまうわたしたち、日本特有の「腐女子」という立ち位置と親子関係を共感しあう層はいまやAmazonを凌ぐマーケットを広げるほどの数であること、そういった一見つながり薄そうな点と点をつないで圧倒的な立体感を以ってお話をしてくださることは、前回までと少し趣を異なるものとしても、その広い視点と、深い分析によるお話であることはかわらず。


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その中でも今回、とくに午前中のお話、前日の打ち合わせでも、お聞きしてわたしのこころを震わせたのは(もちろん、参加者のみなさんにとりましてもそうであったと思います)、かふみさんご自身の向き合うべき人生のテーマでもあったというところ。


わたしが身体を扱う仕事をしていて、偏って過敏すぎる自分自身のこだわりにも近い身体観は、自分自身に解決すべき課題を持っているからこそ、この仕事を選び、また続けていくなかで自分自身もケアしている部分でもあるんだ、と気づくまで、かなり長い時間がかかったのですが、最後にすこしこみ上げるものを抑えるように「ここまでお話できるまでに、10年かかって、やっと、やっとの今、なんです」とお話くださった、かふみさんもまたそうであったこと、そして今回、それはもっとわかちあってもよいのだ、という安堵にも似た気持ちになりました。わたくしたちもまた戦友として、分かち合い、肩を抱き、背中を押すようなハートフルなお話でした。

それを受けて、いそじさんがおしたくしてくださった、心づくしの解毒ごはんのあとは、少しお話してから、わたしの担当するワークを。

典座さん監修による、精進解毒ごはんは、今回も素晴らしかった。

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まずはこれからの季節に向けて下半身を安定、充実させるワークを二点。
地に足をつけるのは自分のためだけでなく、まわりにいる人とのつながりを感じるものでもあります。

そして、ペアになって、触れ、触れられるワーク。
わたしたちはいつからか、お母さんに、まわりに「こうしてほしい」と無邪気に言えなくなってしまっていたんでしょうね。

しんどそうなところに触れて楽にしてあげたい気持ち、その気持ちを受けながらほんとはもっとこんな風に触ってほしいということを伝えること、そしてそれを聞いて応じる、を丁寧にしあうことで、お互いのからだがおだやかにあたたかくほぐれていきます。

のち、持ってきていただいたシーツにくるまり、かつて、母のお腹、そして祖母のお腹にすでにいた卵であったわたくしたちが、胎児に戻り、生まれ直すワーク。

シーツにくるまる息苦しさ、あたたかさ、外の音(奇しくもその時間、いちばん雨音、風音の激しい時で、外界を感じるためのよい効果音となりました)。

とつきとおか、こうやってわたしたちはお母さんの様子を気遣いながら、お母さんはおなかにいるわたしたちを気遣いながら、ともに時間を過ごしてきました。

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午前のかふみさんのお話の中で紐解いた、生まれてからはいろいろ苦しいこともあった、そして未来に向かってほどける、切り離してゆくことも許せばばよいと覚悟にも似たお母さんとの関係性はあれど、さかのぼってお腹の中で思い、思われたかつての生まれるまでの優しい時間もあったのだろう、ということをワークを通じて共有しました。

それぞれの生まれたいタイミングで起き上がり、周りを見回し、お顔を見合わせて、シーツにくるまれたまま、シェアの時間。

「わたし、大事にされてたんだなあ…」
「うまれるのを楽しみに待ってくれてたのかなあ」
「いつもよりからだが緩んで楽に横になってた、安心感があった」
「シーツかぶったくらいで戻れるとは思わなかったけど、わたし、確かに胎児になっていました」

そしてお互いに「誕生おめでとう」と声を掛けあう皆さんのほっとしたお顔。

わたし自身は逆にクールであまり干渉しない、感情を表にださない母に育てられ、苦しかったとは思わなかったけど、そのわかりにくすぎるくらいの愛情表現の薄さをほんとはさみしく感じていたのだな、でも、黙って静かに見守る深い愛情が確かにあったと思ったのです、という母との、ささやかなエピソードをお話して、午前中のかふみさんのように、また、すこしわたしも涙。

ピックアップした方をまたお送りする帰り道、「午前中のお話だけだったら、わたしの性格上、頭でっかちになってしまったと思うんですが、午後のワークでバランスがとれてまるっとまとまった感じ、今日はほんとに来てよかった」とおっしゃられて、ドタ参だった彼女にとってのきっと良いタイミングだったのだなあ、よかったなあ、と思いました。

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ご参加、ありがとうございました。

また、ご感想お寄せくださいね。

投稿者 あつこ : 2017年10月30日 10:27

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