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2017年04月22日
4月17日 解毒女子の会レポ
解毒女子の会@敦賀
「穀雨から梅雨へ、にほひたるからだのゆかしきを知る」
開催されました。
平日開催となりましたが、途中参加、途中退室の人含めて11名のご参加をいただきました。
会場は、毎回お世話になっている、ふるさぽさんが東浦の診療所をリノベーションされた多目的施設、朱種さん。市内からはすこし遠いですが、ほかにはないロケーションと贅沢な空間をお借りしています。
10時開場、初めての方、おひとりさま参加の方も半分くらいいらっしゃいましたが、みなさん迷わず、到着。目印になるものが少なく、ご案内しにくい場所なので…よかったです(*´з`)
午前中はわたしが担当する、春のからだのお手当て会。
写真がこれ一枚しかないのですが…。
春の臓器、テーマは「肝」ですが、呼吸のお話と横隔膜のお手当てを。
呼吸は無意識であっても脳からの指令でオートマティックに働くようにできています。
おしゃべりしていても、呼吸が止まることはありませんよね。
何か集中していて、われにかえったときに息が止まったように感じる時もありますが、そんなときも、からだは自動的に吸う、吐く、を淡々と繰り返しています。これは、交感神経と副交感神経の二重支配体制によるものです。
そして、オートマティックなはたらきはそのままに、さらに意識を向けることで呼吸を深めることもできるというほかの臓器にはあまりない特性をもっています。
まずセルフのお手当ては、意識のむけ方。肺の大きさ、場所を確認して呼吸を深め、その方向を確認していきます。(そのかたの認知した大きさや場所、ベクトルが息を取り込むのびしろにも足かせにもなるというのも意識の面白さがあります)。
横隔膜は、腰椎から肋骨までドーム状についているため、胃、肝臓を中心に、間接的に呼吸の波を通じてほとんどすべての臓器に影響を及ぼします。
そのため、横隔膜の動きを引き出す(というか本来の動きをとりもどす)ことで、内臓全体に刺激が入り、神経系も含めてなんらかのかたちで影響を受け合い、それぞれの臓器が持つ活力があがります。
また、横隔膜を脚からゆるめるのも呼吸を深く、腹のほうにおとすのに役立つため、セルフで横隔膜の動きをみたあとはペアワークでお互いの横隔膜を、上半身と下半身をつなげる大きなインナーマッスル、大腰筋のはじまるところが横隔膜なので、それを終止点の延長にある足先からテンション+逆モーションをかけてゆるめるというところからはじまり、肝臓、反対に比べて下がりやすい肝臓のうらの右の腎臓、ストレスや姿勢などで硬くなりやすい、呼吸や免疫をつかさどる胸骨柄(胸の真ん中のサーフボードのような形の骨)、肝臓が腫れると内圧が高まりやすい目のお手当て…と、順々に行っていきました。
触れることは、信頼を手渡すことだと思う、というような…そんな話もしたかもしれません。
おわったあとは、胸を張るわけでもないのにふんわりと胸が開き、地に足がついた、どっしりしたからだになっていました。気が上がりやすい春は、脚が地に着くというのも足から気を流すアーシング、養生になります。
つたないガイドでしたが、みなさん、ご参加ありがとうございました。
そして、皆さんお待ちかねの解毒ランチ。
精進カレーです。
精進料理のご法度である、精がつくもの(ニンニクや玉ねぎ)はつかわれていませんが、この日のためにインドの方に調合してもらったというスパイスをもちいて丁寧に作られたカレーは、奥行きのある深い味わいでした。
キッチン担当の正本いそじさんが、永平寺の典座さん直伝の、和尚さまの監修のもとお支度してくださった、こころづくしのハイブリッド精進料理。
そして、午後からは東京解毒女子の会主宰の伊澤花文さんの、薬、病気、内臓の仕組みをとおしてにおいのメカニズムをさぐる、がつっと骨太なおはなし。
ユーモアも交えつつ理路整然と身体のうちなるしくみ、身体のインテリジェンスをこんなにエレガントに面白く話せる方はなかなかおられないのです。
前回はちょっと飽き気味だったお子さんたちのお相手であんまり聞けなかったので…。
今回はいちオーディエンスとしてしっかり聞けて、やっぱりスキ♡と思いました。
また、主催する側として、参加してくださった方が、花文さんの話に反応して、ご自身の体験などをおはなしくださって、ますます場が盛り上がった、あのライブ感もとてもうれしかったです。
うつくしい花文さんを激写するわたしを激写するいそじさんという構図。笑
いそじさんと、今回お抹茶のお接待をしてくださった信子さん。お茶の師範さん。
ガイコツ君が「とりあえずビール」とかいうてはる感じ。笑
お抹茶と、前の日からお支度してくださったおぜんざい。
ご参加ありがとうございました!
またやりますね♡
いつもの仕事着どおり、黒づくめなわたくし。
花文さんににじり寄ってますが、なんだか人形浄瑠璃(文楽)の黒子のようです。笑
んでもね、からだを通じてご縁あった方の黒子でいることが、ほかならぬわたし自身の人生の真ん中を歩くことだ、とこのところとみに思っています。
自己犠牲でも、滅私でもない。
貢献すること。
わたしが、と出過ぎる事でもない。
「からだを旅する六カ月」の最終回、肌のときにもお話しましたけど、話しながら、ああ、そうなんだ、と思ったこと。
わたしはわたし、あなたはあなた。
触れるということは、受け入れることと隔てることを同時に知ること。
それがわたしの手を介して居心地よくはたらく、生きるスタンス、そして貢献なんだな、と。
いっぱいつまづいてきたし、これでいいのだろうか、と問いながらやってきて…、やっぱりそんなたのしいことばっかりじゃないけど、それでも人生はすばらしい。と、思うのです。
それを味わい尽くすために、わたくしたちにはからだがあるのだということ。
「生き続けさせるための設計がからだの構造デザインの中にあり、からだは、ひとと、世界と出会うためにある」
こないだお聞きした、大好きな言葉です。
これからも縁あった人と分かち合っていきたいと願っています。
LOVE!
いつもありがとうございます(*´з`)
投稿者 あつこ : 2017年04月22日 15:40
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