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2017年02月27日

今月のウノのエッセイ

今月の月刊UNOのエッセイ、まだ発刊して1週間しかたってませんが、いつもより「読んだよ、なんか、よかったよ」というお声をいただくことの方が多い気がいたします。

記事には書きませんでしたが、今月で19日で、おかげさまで開業13周年を迎えました。
たくさんの見えない手が添えられて、お礼が言えないままだったこともたくさんあったであろうに違いないまま、14年目に入ります。

これからもよろしくお願いいたします。

以下、今月のエッセイです。

ちょっとこちらの記事に回すのは早いかな、ともおもったのですが、今日は月命日でしたので…。
よろしかったら読んでくださいね。

いつもありがとうございます。

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今月はちょっと個人的な話から始まるのですけれども、ごめんなさいね。去年の秋の終わりに、数年来療養中だった父を見送りました。

斎場でお骨を拾う時に、「指先の骨が、座した仏さまの形をしています、小さい骨ですからなかなか残らないのですけれども、もし見つけたら骨壷に入れてあげてくださいね」と係りの方が教えてくださいました。残念ながら、見つからなかったのですけれども…。帰ってから、仕事場にある骨格模型を改めてよくみたら、たしかにそう見えるんですよね。

立春を過ぎてその兆しは感じつつも、三寒四温の寒のほうばかりがまだ身体にこたえる毎日。気づけば肩はすくみ、背中は丸まり、てのひらをぎゅうっと握りしめていることも。
体温を逃さないための身体の反応なのですが、そうやって身体全体のちからを抜くことを忘れてしまっているときに、忙し過ぎたり、あまり眠れなかったり、生理前だったり…。ふだんならやり過ごせることがちょっとしたきっかけで止めづらい大きな感情のうねりになることも。ささいなことで怒りが爆発してしまったり、自分をぐるぐる責めてしまったり。
そして、身体はさらに重く、しんどい。

そんなときにふと視線を落とした指先に十人の仏さまがおわします。頑張ってなにかしようと思わなくても、仏さまが常に手を添えてくださっていると思えたなら、どうだろうか。

誰かに頼ったり甘えたりするのは苦手でも、仏さまになら頼ってもいいかも…と、そう思えたなら、孤独感で身がすくんでしまう時も、やり場のない怒りでこぶしがきつくむすばれた時も、ぎゅっと握って使ってしまっている指を柔らかく、ともにあると感じることができたなら、すこし身体もゆるむのではないだろうか。

普段はあまりそういうことは言わないのですけども、「ちょっと変なことを言ってるかもしれませんが…」と、身体の力が抜けないがんばり屋さんの女性、何人かにお伝えしましたら、「そう思って使ってみたら、ふしぎと、楽です」というお返事をいただきました。

ひとの身体は、なんらかの形でこころとつながっている、非常に有機的で情緒あるものだと思います。ストレッチも体操ももちろんいいのですが、こんなふうにすこし意識をかえて身体を見つめてみるのは、いかがでしょうか。

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今月は「ママのためのリラクゼーション」プレゼントもご応募おまちしています。

投稿者 あつこ : 2017年02月27日 18:35

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