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2016年12月03日

ありがとうございました。

書こうかどうしようか、迷ったのですが…

かねてより療養中の父親が、先の日曜(ちょうど満67歳の誕生日でした)に亡くなりました。

43回目の結婚記念日でもある25日の朝に吐血して、連絡を受けて学校を早退した息子と私が駆けつけ、追って母が仕事を切り上げて切り上げて来たのを目を開けてわたしたちを見て、母の声を聞いて頷いてそこから意識がなくなりましたが、わたしの弟ふたりの声にまた目を見開き、遠方から駆けつけた姉の手を握り返し、じょじょに移ろうすがたを見せながら27日の誕生日に、家族が見守る中、眠るように、最後のモルヒネが切れたアラームの音と同時におだやかに逝きました。

何度も推敲したと思われるエンディングノートをしっかりつくってくれていて、お経は(宗旨、まったくちがうんですけど)家の隣のお寺の住職さまに上げていただきたいこと、戒名はつけないこと、葬式もしない(セレモニー会社に頼むのはなきがらをととのえることと、病院から家、家から火葬場までの運搬だけ、ぜんぶ担当の○○という人と話をつけてあるから、ノートにはさんである名刺のこの人に連絡してくれ、セレモニー会社に「任せます」という言葉は絶対言うな、ということ)、義理だけのつまらないお悔やみは一切無用、通夜には親友ただ一人だけ知らせて呼んで欲しい、今後の法事も一切無用、でも散骨はしてくれるな、思い出して話してくれたらそれだけでよい、ていうかなりの型破りさでしたけど、まあ、その通りやりました。

新聞にも載せてくれるなとのことでしたが、まあ、昔商売もしてましたし、近親者で執り行った旨のみ載せていただくことのみ、遺言からは背きましたが…

主治医の先生も最後、泣きながら「ほんまに、お父さんとは気が合ってなあ…いっぱいしょうもない話して、いっぱい笑ったわ、吉川さんのおかげでバイクに乗りたくなって、バイクの免許も取ったしなあ…楽しみを増やしてもらったわ」と父との思い出をはなしてくださって、「お父さんと僕はすごく似てるからわかるんや、奥さんの話、全然聞かんかったやろ。僕もやで。やからな、おかあさんもいろいろ振り回されて大変やったと思うわ、だいじにしてあげてな、たのんだで」と車が見えなくなるまで見送ってくださったり、看護師さんたちも「吉川さん、お誕生日おめでとう」といいながら処置をしてくださったり、住職さまも、「お父さんから生前に話を聞かされたときはてっきり冗談かと思っておったけども、まあ、入り口が違うだけで、最後は一緒やからな」と、帰宅後の枕経、翌日の通夜、当日の出棺と三回足を運んでくださって、心のこもったお経で見送ってくださいました。

父が亡くなったのはさみしいけど、ありがたいなあ、うれしいなあと思うことの多い、この数日でした。

「死んだら読むように」といわれて家族で開けたエンディングノート。「死んだらノート」という背表紙のファイル。

そういうあれこれびっくりするたのみごと、遺す家族のことを案ずるようすなどが、たくさん、かつ簡潔に書かれていたのですが、最後の〆に

「2016年11月27日 ここに記す」

って、亡くなった日を書いてたのに、またみんなで仰天しました。

見事な幕の引き方でした。

60才でがんが見つかって、5年生存率は50パ―セント。

大きな手術3回、小さい手術4回、入院は10回ほど。

七年かけてゆっくり手を離していくことができて…地域医療塾で中村先生からずっと聞いてきたお話しが、やっと経験をもって手のひらに落ちてきたなあ、と…。

最後の1年は、父が行きたがっていた石垣島に連れて行ったり、一緒にお寺を回ったり…息子も反抗期が少し落ち着いて、男同士でいろんな話もできているようで、娘として、ほんとうにしあわせでした。

切り替え下手なわたしにとっては長いこころの準備をしながら過ごした、意味のある七年間でした。

なんかドヤ顔の遺影も、バッチリ自分で三脚据えて自撮りしたやつを額装して用意してくれてましたし。
めっちゃ自分大好き感満載で、父らしい写真でした。

父が勝手に契約していたiPadを解約しにいったら、家族が契約を引き継ぐしかないという話を、弟が激昂して「その契約は故人とそちらの話であって、知らなかった家族に支払いと商品を押し付けるのははなはだお門違いである」と怒鳴り散らしたのもまあまた父にそっくりだなあ、とおもったり….。

パッケージ化したビジネスや、人情味のないサービスがとにかく嫌いなとこは弟が受け継いだのかなあ、とか…(まあわたしもそうなんですけど)

というわけで、12月1日より仕事開始しております。

27日のクラスを休ませていただいたり、前後数日のご予約の変更をお願いしたり…みなさまにはお心を寄せていただきありがとうございました。

財産的なものは一切残さなかったけど、形見として上の弟はNikonのカメラとリーバイス、下の弟はレイバンのサングラスとカシミヤのベスト、わたしは腕時計を。

tokei.jpg

亡くなる一週間前の朝、出がけにわたしの腕時計のベルトがぶっちぎれて、そのまま病院に行ったときに時計を貸して欲しい、と言ったら「もう、たぶん使うことはないと思うし、持って行ったらいい」とさみしそうに言ったあの眼差しを思い出す。

それからずっと身につけていました。自動巻なので、すぐ止まってしまうけど…。

あまり高価な物は持たず、でも「自動巻は永久に使えるからな」というこだわりのあったひとでしたが、しょっちゅうなくすので、あまり永久の意味がないという。笑
それもこれも思い出。

おだやかな土曜日。
もう一週間になるんだなあ。

会いたいなあ…。

また、これからもがんばるので、見守っていてね。

明日は勉強会のためおやすみいただきます。

投稿者 あつこ : 2016年12月03日 16:55

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