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2016年05月06日

連休中の施術雑感


もんだりおしたりしなくても、必要なことをことばで伝えると、からだがゆるんで、動きがひろがって、痛みや違和感の消失のみならず、その方の姿勢、存在の美しさが際立っていく。

ここ最近はそんな施術が必要なことがたびたびあり、あまり触れずにずっと喋ってることもある。

とおもえば、ただひたすら、透明人間のように気配を消して黙って触れ続け、からだにその方の呼吸が満たされ、ゆるんでいくなかに発動するものがあるのを静かに観察する時間もある。

起き上がってみえたときの、たまごから孵ったひなのような瞬間。

たまごを割ってみずから立ち上がろうとするその足、あらたな、でもかつていた世界をみるまなざし。しっとりしたからだ。

その美しさに感激しながらも、ついそこであれこれと説明してしまい、静かな時間の中で、言葉のうるささ、よけいな介入を恥じ入る。

「今、ここ、という感覚を、からだの知覚とつなげていくこと」

「からだの知覚を、今、ここ、という感覚につなげていくこと」

どちらかがはじまりでどちらかがおわりで、ということもない。

からだは、こころは、その人のもの。

からだは、こころは、わたしのもの。

個と個があって、場がうまれ、場が個の輪郭をくっきりとさせるのだなあ、と。

術者も、癒されてなくてはならない。

つねづね聞かされていたことばだけど、言葉じりをなぞらえども、みずからのからだは受け入れ難くしていたのだなあ、と知る。

たてこみ気味のゴールデンウィーク、時間におわれながらも両方の切り分け、重なり、連なり。

そのかたわらで術者の立ち位置を味わう、意味深い日々でした。

投稿者 あつこ : 2016年05月06日 16:07

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