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2016年02月26日

生理用品について、改めて考えた(長文です)

布ナプキン、生理用品のことについて、書いてから半年…それからもずっと考え続けていて、思うことは同じですが、ずっと引っかかり続けていたところを書き直しました。

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同業の友人と話していて、「そういえばさあ、最近よく頂くご質問なのよね、吉川さんは、なんて答えてます?」と聞かれたこと。
うん、うちでもときどき、あります。

「布ナプキンがなんかいいらしいって聞くんで、初潮がはじまりそうなうちの娘に使わせてみたいなっておもうんですけど、どうなんですかねえ…」

こういうお問いかけをくださるおかあさん…
だいたい…ご自分は使っておられない。
んですよね。

なので、お嬢さんに使ってもらいたいとちょろっとでも思わはるんやったらまず、おかあさんがちょろっとでも使いはじめてみなはったらどうですか?とお話しします。

おかあさんが使っている姿が、生活の中に、自然にあること。
使っていることで、会話のきっかけになる、ということ。

第二次性徴のきざしが見え、こころもからだもすこしづつ成長するとき。

「血が出る」
「なんか、はずかしい」
聞いてはいたけど視覚から入る鮮烈な衝撃やとまどい。

「痛い」
「なんかしんどい」
今までなかった、身体からのサイン。

「女の人が赤ちゃんを産むということにとって、とても大切なことなのよ」っていわれても、まだピンとこないお年頃のお嬢さんが、その身体の変化や違和感とともになんとなく、自分の身体や月経に対してネガティブな印象を持ってしまうこともあるのは仕方のないこと。
かつてのわたくしたちも、そうであったかもしれません。

だから、おかあさんが自然にそれを引き受けているのをみる、ということに意味があると思います。

布なぷ使えば、たちまちハッピー!お悩みスカッと解決!っていうような期待には添えないかもしれません。

どうしても、たちまち冷えがなくなる!とか、痛みがなくなった!とか、ついついそういう「効果」的なものを求めてしまい、それを評価にしてしまいがち。

布なぷにそういう期待を寄せるのではなく、自分の身体に愛着を持てる、女性がみずからの身体のことについてきらくに話せる「ツールのひとつ」と思って、使い始めてもらえたらといいなと思います。

手間をかけたものほど、しだいに愛着がわく…

これは女性が、母性につながる本来持つ特性のひとつではないかと思います。

自分を大事にする、周りを大事にする…そんな感性を育むひとつのツールとして、お嬢さんに。

そして、まだ使ったことのない女性にも「月経前、月経時の嵐のようなからだと心のゆらぎなどで表現される、その繊細な感覚に対してサポートするために、選択の幅を広げるひとつのツール」として、伝わっていったらいいなと願います。

「洗うのがめんどくさい」と思うこともあってもいいんです。
布なぷ使ってても、痛みのある月も、不正出血のあることもあるよね。

「なんか思ってたのと、聞いてたこと、期待していたこととはちょっと違うんだけど」ということがありつつも(わりとおおいに…笑)、いい意味で補って余りある魅力が、それぞれにもたらされるからこそ、こうして、爆発的にではありませんが、すこしづつ女性に受け入れられているのだと思っています。

初潮の頃から、生活の変化にあわせてや使い心地など、あれこれ選んで手に入れていたナプキン、生理用品が、わたしたち女性にもたらしてくれた自由や安心感は大きい。

「これは化学製品でできていて…有害物質が…経皮吸収が…」って怯えながら、「これが正しいのよね?」「からだのために、いいのよね?」と言い聞かせながら身体をこわばらせて布ナプキンを手にする必要は、正直、ないと思っています。

わたし自身、お伝えする中で悩み、紆余曲折ありましたが、今はこの考えで落ち着いています。布なぷのよさをお伝えしようとするあまり「ケミカルナプキン」、とお伝えしていましたが、わざわざミスリードを狙うような言葉にも感じていて、また、今までさんざんお世話になっていたものに対して敬意のない言葉のようにも思い、もうこの表現をするのをやめようと思うようになりました.

「ケミカルナプキン」という強い言葉が、布なぷを手にする、始めるきっかけのひとつになればいいか、とこれもまた伝える中で敢えて選び取って(わざわざ)使ったというところもあったんですけど…。

受取るかたにとれば、脅かしめいた言葉がファーストインプレッションとなった強烈さはその後の身体のイメージの中でいつまでもおおきく引きずるんだなあ、と布なぷだけのことに限らず(たとえば施術者がクライアントさんに放つ「歪んでますね」という言葉とか)からだを預かり、お話しを聞く中で感じることが多くて…。

自分が相手に差し出す言葉のなかで、そこがどうも荒く(粗く)浮かび上がってきて、このさき伝えたいこと、今まで考えて来たこととつながっていかなくて、言ったり書いたりしながら、どうにもこうにもそのあたりが居心地が悪くてしかたなかったんです。

ダイオキシンやポリマーについては、紙おむつ関連で調べれば、「生理用ナプキンは叩かれてるけどほぼ同じ素材でできてる、赤ちゃんやお年寄りが使う紙おむつはどうなの?」という違和感も同時に消えると思います。漂白方法とかね。

結局のところ、「気持ちいいから使い続ける」「自分の身体を見つめ続けるツール」であることであってほしいなあ、と願うことにはかわりありません。

どうしてもこうしてもかぶれる、つらい、という人は、いろいろな「説教臭くて嫌だなあ」と思う先入観は抜きにして、「ひとつのくふうする手段」として、続ける続けないは別にして、一度、使ってみてほしいなあ。

洗うのがどうしても抵抗がある、無理な状況なら、使い古しのガーゼとかハンドタオルなどのくたくたした柔らかい布を市販のナプキンの上からあてがって、トイレに行くたびにぽいぽい捨てて行ってもいいんです。

軽い日でもずっと同じ布をあてっぱなしは避けてくださいね。

布なぷについて、「漏れませんか?」という質問を受けるのですが、基本、布おむつと一緒で、まめに替えることに意味があるのです。

生理中でも快適にすごせるやん、身体が楽ならきもちも楽やん、と思える一つの手段として布ナプキンやワックスという選択もあるということ、ひきつづきお伝えできたらいいなと思っています。

投稿者 あつこ : 2016年02月26日 20:21

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