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2013年06月25日

6月最終週

土・日と、二日間、大阪に勉強に行ってきまして、昨日から通常営業です。
留守中はヨサのみ営業しておりました。
晴れてても湿度や気圧の影響で身体の中が停滞しやすいとき。
ヨサで汗をかくとすっきりしますよ。

今回、ベーシックの2回、下肢と骨盤の調整でした。
足関節は、からだの、骨盤のさらに土台となる場所。
一番大事なところだと思って施術の要においてきましたが、ますますその思いを強くいたしました。
そして、よく産後の骨盤調整といいますが、なによりも、妊娠される前までのケアも本当に大事なんだということを改めて。


今回、受講するまで存じ上げなかったんだけど、たくさん、いろんなタイプの障がいをもった子どもさんを診ておられる先生でした。

「子どもはね、これっぽっちもよくなることをあきらめてないですよ。言葉で表現できる子も、できない子も、みんなよくなれると信じている。あきらめて、きめつけてるのはまわりのおとななんです、おとながこどもにそのことばで、態度であきらめさせようとしているのです」って静かにおっしゃってたのが、心に残りました。

これは、からだだけのことではないですよね。
これからも、学んでいくのがたのしみです。


昨日の朝、時間があったので、息子のからだを、今回受講した下肢のルーティンでやってみたのですが、息子いわく

「いつもと距離感が全然ちがうな、近いけどいつもより頭が痛くない」

とのことでした。

普段は足首を施術モードで触るだけでも「かかとからひゅ~ん、ひゅ~ん、て花火がうちあがって、眼球と脳でばーーん!ばばばばーーん!て爆発するから痛くて痛くていやだ」といってからだを触らせてもらえない(まったく脱施術モードのハグやオイルマッサージだけOK)のですが…

この仕事をしていて、いちばん近い息子のしんどさを取ることができず、とても苦しかったのですが…「からだもこころもしんどい」と訴え続ける息子のからだに介入できるヒントをまたひとついただけたかもしれない。
ここまでこじれているのもなにか意味があるのかもしれない。
心はね、わたし自身の母としての成長をもっと試されている、そんな気がします。

人の身体って、ほんとうによくわかってないことが多くて、でもそれはいきなり答えを求めようとするからであって…もちろん、追求、探求は大切ですが、まずは答えをもとめずその余白の部分にどれだけ触れることができるかが大事なのだと思います。

こういうこともいえばいうほどうわすべりな感じがして、書いていてなんだかいやな気分(読んでくださってる方のお気持ちを思うと)なんですが…。からだのことについてはこういう言葉にできないこと、数字にも理屈にも表せないけど、よくわからないけどでも痛いしつらいしでお困りの方とたくさんご縁をいただきます。

「なにが原因で悪い」「これだけをしたらよくなる」っていうはっきりしたことばは、かつては発信者の自信の顕れのような気がして、それに飛びつく人も多かったと思います(健康食品にしてもダイエットにしてもこういう療術にしても)。
今もそういう言葉はマーケテイング用語として巷にあふれていますが、この近年、急激に空虚さを増している気がいたします。受け取る側の意識も変わってきているのではないでしょうか。

おからだのこと、一緒に考えて行きたいと思います。
ホームページの施術者のあいさつで、わたしはこれしかかけませんでした。
10年前のはなしです。

それは自信のなさや迷いもあったかもしれませんが、今はその色を変えて、(自信がついたとかそういうことではなく)それでもなお、いっしょに考えていくこと。それにつきるのだなあと年月を重ねて改めて感じ入っています。

だから、勉強も続けることができるんだなあとも。
器用じゃなくて、自分の経験をなぞらないとなかなか自分の中に入っていかないといけないということもあり、そこを発信のみなもとにしているのですが、ときどき違和感があってうまくかけないこと、つたえられないこともおおいのですが、でも、それはまたわたしのやるべきこと、のりこえるべきことなんだろうなとも意味深いものも感じています。

とにかく、今自分ができること、自分の感覚を信じて、施術をしていきたいと思っています。

いつもありがとうございます。

投稿者 あつこ : 2013年06月25日 04:42

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