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2008年09月24日

潮は月、波は風

今日(もう昨日だ)は名古屋で、マニュアルメディスン研究会主催の身体呼吸療法セミナーを受講してきました。

からだをみることに近道はなく、かといってそれは回り道ではなく、こんなふうにみていくより他ないのかな、と思いながら帰路に就きました。

このごろ、お出でになるクライアントさんが、施術後のからだの状態、痛いのがどうかとかしんどいとかいうことよりも、ご自身の心情や、一番身近な「社会」であるご家族への思い、今までの自分の対人のスタンスに立ち返って気づいたことをお話しになることが増えて、でもそれが直接治癒につながるかという確信もなく、答えを返すこともなくただただ耳を傾ける日々なのですが。

そういった中から「治ること」とは何か、ということをあらためて考えていると、今度はクライアントさんに対して、介入しすぎないように慎重になっているのか、逆にクライアントさんがわたしの中を探ろうとするのを拒んでいるのか…だんだんわからなくなってくるんです。
手とからだの間にあるものは、触れているのか触れられているのかわからなくなります。

でも、切り分けることの出来ない壮大なこころとからだのつながりを考えていく上で、それは入り口であり出口であり、考えていくことでいつかは本質・核心的な部分となって注がれる日が来るのではないかなと思いました。

いまは考えるに至らずただ感じることしか出来ないのですが、そうとなると、自分のからだを写し鏡にしてしまうのは、とてもしんどい。
でも、これはそういうもんだと乗り越えなければいけないみたいです。

触り続けること、感じ続けることしかないんだなあ…。


帰りは、名古屋から高速バスで帰りました。
夜にバスに乗り、夜の街から離れるときのせつない感じが好き。

投稿者 あつこ : 2008年09月24日 01:00

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コメント

お久しぶりですね。
時々なんだか気になるとこちらにお邪魔させて貰っています。そして、手が気づくとコメント書いていたり…。
鏡になることについて、
相手のものを貰うことについて、
いろいろ悩んだ時期もあったので、
何かお伝えできる機会があればと思っています。
鏡になるのは仕方ないと思います。
それが相手と出逢うことだから。
影響を受けてしまうのは、自分の流れを押し殺しているから、そうやって相手に寄り添ってしまっているから。
相手と出逢うこと。それは自分とは違う流れを感じること。その違いを感じる為には、相手にもきちんと相手自身の流れのままでいてもらわなければ、出逢えないんですね。触れるということは、相手自身の流れと自分の流れが接触すること。
相手の流ればかりを感じようとすれば、影響をうけるだけ。相手の流れを無視すれば、介入しすぎですね。きちんと触れると、もし、相手の方が流れを何らかの理由で止めていたとしてもこちらの流れとコンタクトとろうと流れ始める。

投稿者 ゆうじ : 2008年09月24日 21:27

ゆうじさん。

コメントありがとうございます。
火曜日にもおおのさんと、ゆうじさんのことを話していたとこです(笑)。

「自分の流れを押し殺す」というのは、とても腑に落ちました。
沈黙は賛同でも反抗でもなく、でも、それがニュートラルな状態かというと、そうじゃないんですよね。

今はもうすこし手綱がゆるんで、「相手におもねる」幅が広がってきているという感じです。かといって「主体がない」とか「どう思ってくれてもいい」ということではなく…。うまく言えないんですが…。

あ、うまく表現しようと考えているうちに場が流れてしまうんでしょうね(笑)。


手にも、からだにも、ありのままが顕れてしまうんですねえ。

投稿者 のぞみ。 : 2008年09月25日 10:12

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