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2008年01月07日
まなびそめし日より
今年のまなび初めは身体呼吸療法でした。
秋の初めから数えて5回。
講師の先生のお話は、表現しがたいもやっとしたものをすっきりと差し出してくださるので…。
いつもうれしくて泣きそうになります。
今回は術者とクライアントの関係性と「共感」について。
年末の学びおさめの古式療法の勉強会で頂いたものはおおきく、でもどういう風に受け入れたものか、わたしにはまだその入れ物がないのではないかと戸惑っていたのです。
そしてこの年明けすぐのあるとき、ミルトン・エリクソンの
「治療に抵抗するクライアントなどいない。
柔軟性に欠けるセラピストがいるだけだ。」
という言葉がふいに注がれて…えもいわれない気持ちで
今年の私のテーマ(課題?抱負?)は
柔軟・バウンス
でありたいと思い始めていたところだったので…とてもうれしかったのです。
実技の時間では、あいかわらずテクニークという面からの雛形に当てはめて練習する従来の手技療法のアプローチはほんとうに少なく、さらにさらに「触れること」を深めてゆくことなのですが、その「共感」という事をあらたに注いだ事によって新しい広がりをもっていくとともにあらためて相手のおからだと対峙するときの自分のあまりにも大雑把な捉え方を、指摘ではなく自ら気づかされるという驚きをもった学びの喜びがありました。
今回は、年末の古式療法の学びの中のことともつながるのですが。
ほんとうに手が使えてるつもりでちゃんと使えていなかった、ということ。
つかえる日は、来るのでしょうか。
何を以って「修行」というのかわからず、ただ学んだり従事したりすることを指すのとは違うと思っては来ましたが、手技療法家にとっての修行とはただひとつ、手の感覚を追い求めることなんだろうなあ…となんとなく腑に落ちた感じでいます。
「施術は、施術者の存在そのものがテクニックである」
と、1年ほど前にお仲間の先生から聞いた言葉。
その時は恥ずかしながらあまり意味がわからずピンと来なかったのですが、なるほどなあ…と今になって思い返しています。
まだまだそんな道には遠く及びませんが…砂漠に水をまき続けるような苦しい日々から少しづつ何かが芽生えてくることを感じる…そんな今日この頃です。
いつもは、家で待つ息子のもとにそそくさと帰るのですが…今回は新年会の席に加えさせていただきました。
「京都いちコストパフォーマンスの高い店」というビストロ希味(のぞみ)へ。
がっつり食べて食べて20品。>>写真はこちら
(↑いつもお世話になっている身体呼吸講習会の世話役・オステオパシーOQの坂田先生ブログ)
海鮮サラダから始まり、冷菜、蒸しもの、汁物、揚げ物などの創作料理。
10品くらい出たところにさつま芋をバターでコンガリ焼きシナモンシュガーをまぶした、おかずというよりはスイーツなの?というような一品がでたあとはそっから折り返し?
また再び海鮮系サラダあり蒸しものあり、汁物・揚げ物あり、焼き物ありの復路へ…。
「食べる箱根駅伝や~!」(彦麻呂)
なんだか満腹過ぎて涙目になってきたところに…
ピザがドーン!
焼きおにぎりドーン!
デザートは別腹…(笑)
はちきれそうな腹をさすりつつ、わやわやとみなさまの語らいに耳を傾け…
たのしいひとときでした。
投稿者 あつこ : 2008年01月07日 01:52
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