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2005年07月12日

ありがたや、親の情けと鉄骨飴

今日は昼イチの予約を連絡無しですっぽかしされてしまい、がっくりと肩を落としつつも、気を取り直して久々にブログの更新(ヴァンダム)をして、1年ほど前から週2で伺っているチャコちゃん(と心の中で勝手に呼ばせていただいてます)のところへ出張整体。

脳梗塞で倒れて以来、長いこと寝たきりでおられて健側の筋肉や腱の硬縮がかなり進んでいる状態だったので、軽く擦って末端から可動域を徐々に広げる施術をじみーに、地道に続けるしかなく、でも最近はお食事の時にスプンを握ってご自分で食べようとなさったり、腕を曲げたり伸ばしたり、グーパーグーパー手のひらを開けたり閉じたりの自主トレ(笑)を試みたりされていることをご家族から聞いたりしてうれしく励まされる思いでいたのですが、ここのところちょっと食欲が落ちて点滴に頼ったり、話しかけても反応が薄い日も多く、ご高齢ということもあり、ちょっと心配です。
チャコちゃんの現在のお身体の状態に対し、私の力ではどうすることも出来ませんが、私が毎週伺う日をとても楽しみにしてくださっているとのこと。前後のご予約の入り具合の兼ね合いで訪問を諦める日もあるのですが、出来るだけ顔を見せて、少しづつでも触りながらお話をしたり、歌を唄ったり。
食欲が沸いてすこしづつでもお食事が出来るようになるといいな。
がんばれ、がんばれ。


チャコちゃんとこの帰りにVマートに寄ったら、タコのゆでたのがタイムサービス中でした。
ここのとこ、あちこちから頂くのは、キュウリ!キュウリばかりなのです。
ぬか床にストックして日々消費するも、追いつかないくらいキュウリ強化月間。
今夜はタコの酢の物ね!とむふむふ笑いながらゆでタコゲット。
パン売り場の誘惑に、目をつぶって歯を食いしばって「炭水化物摂り過ぎ摂り過ぎ」とつぶやきながら通過して、あとは納豆やレタス、えのき茸などなどを特に使途目的なく特売という理由だけで購入。


帰宅して、予約が入ってないことにがっくりしながら久しぶりに保育園にお迎え。
保育園行き帰りの道々は畑が多く、日々作物の生命力に驚いたり、世話する方のきめこまやかなお仕事ぶりに感心したり。
今日もほたほた歩いていたら、目の前を何かがポトン。びっくりして見上げたら、電柱にからすが2,3羽。そしてまたもや何かが落下してくるではありませんか!わたしの衰えた動体視力でもなんとか捉えることができ、「スワ、脱糞か!?」と慌てて身をよじってよけ、ブツは足元に。
さきほど落ちてきたのもあわせると、6,7個の何かの果実のようなものの種が。
お食事中だったのですね。

畑にいたおじさんいわく、子からすに食べ物を与えるために、親からすは必死になってえさをとるのだそう。からす害防止のためにネットを張り、ネットの裾がめくれないように石を押さえても、知恵者のからすは石をクチバシで移動させてネットの中にもぐりこみ、作物を荒らしていくんだそうです。
「からすの親心もわからんではないけど、知恵比べやな」となかば諦め顔のおじさん。


そんなわけで、今日はえらいのんびりした一日でした。
ところでいまでも、鉄骨飲料とか鉄骨飴ってあるんでしょうか?

投稿者 あつこ : 2005年07月12日 17:47

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コメント

のぞみさんこんばんわ。

 僕も、自分の祖母の施術をずっとしてました。
おもいっきり高齢だったのと、
病気も重かったので、さするくらいしかできず、
テクニックもへったくれもなく、ただただ元気になってほしいと思ってやってたのを思い出しました。
 でも、そういうのって一番大切ですよね。
亡くなる少し前、足を施術してるとき、
 「ええ気持ちやわ」っていってくれたときの、うれしさや、さみしさみたいなのが、僕の原点な気がします。

 

投稿者 稲村@京都コンディショニング : 2005年07月12日 23:44

稲村さん、いつもありがとうございます。

おばあちゃま、なくなられたのですね。
ご高齢になるほど施術後に変化がみられることは稀になってきて、自分は力になれているのだろうかという無力感がありますが、だからこそ、「ありがとう」「気持ちよかったわ」というひとことが胸にしみるのだと思います。
お身内なら、ひとしおですよね。


こないだ見えたお客様と映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』のことから尊厳死の話になって、
お客様はご自分の年齢や、近しい方を末期癌でなくされたなどのご経験から、「もし植物状態になったり、末期症状で余命を告げられた場合、無駄な延命は要らない。それが与えられた寿命だと納得して植物が土に還るような死を」というお話をされていました。

そんなお客様のお話をきいて、わたしはまだ若いし、何より自分の死に対する実感も覚悟もなくただ、どんな状態であっても生きていてほしいという思いのほうが強く、でもそれは残される人間の自己満足なのかしら、なんてしばらく考えていました。


ていうか、わたしのコメントはいつも長い。そしてちょっと的はずれですね。すみません。

投稿者 のぞみ。 : 2005年07月13日 06:33

こんにちは
私の患者さんで最高齢は93歳の男性ですが、その方は脳梗塞をやったにも関わらず、現在では丈無しで歩き、自転車にも乗っていたという、年齢からは想像できない元気なおじいちゃんでした。
たまに服に血が着いていたりするので、「どうしたのですか?」と訊ねると、「自転車で転んだんだ。よく転ぶんだ。ははは」などと、これまたびっくりな回答が返って来ていました。

どうして過去形かと言いますと、先日心筋梗塞で倒れたのですが、大したことは無くて退院したものの、家族がかなり心配してしまい、「自転車には乗るな」「丈をついて歩け」「布団は止めて介護用のベッドに寝るように」など、生活環境をかなり制約してしまったのです。

そしたら・・・。
見る見る身体が弱ってしまい、たった1ヶ月ほどで背中が丸まった歳相応のおじいちゃんに変わってしまったのです。
今では、多分もう自転車には乗れず、丈に頼ってよたよた歩いており、私のところにも来なくなってしまいました。(ToT)

生活習慣って怖いですね。

投稿者 ひび : 2005年07月13日 20:20

ひび先生、こんにちは。

わたしのまわりでも、「年寄り扱いするな!」「俺の話を聞け!」というぐらいの方のほうがお元気な人が多い気がします。

人の身体は、無意識下のことには特に、順応性が高いですもんね。
で、意識すればどこかにロックがかかってしまって、とたんに融通が利かなくなる…。
このへんを心得えている治療家の先生が、テクニックや通り一遍な生活指導だけで頭打ちになってしまっているところからもう一歩を踏み出して結果を出されていると思うのですが…。

お客様の身体のつらいところは、理由も含めて
ご自身が一番わかっておられる、ということを肝に銘じてヒアリングの日々ですが…なかなか難しいのですね。

投稿者 のぞみ。 : 2005年07月14日 07:02

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